卒業論文「電弱相互作用の中間カレントの研究」   茶谷好晴

卒業研究「産業連携の促進要因に関する一考察」  土橋晋作

卒業研究「人口減少と地域金融機関の経営戦略」  高 潮  昇

「果てしない「知」を求めて

果てしない「知」を求めて

満岡剛太郎(長崎学習センター)

 

1996年春、私は放送大学に入学しました。多良見にあった長崎学習センターで放送大学の蔵書を利用したいと考えたからです。

それから21年、気づいたらもう終点です。知らないことばかり増え続け無限の知の前に自分の無知を悟り茫然としますが、数年前に海部宣男教授の「太陽系の科学」を学び、終章の「人間にとって「知ること」は本能であり、属性である」との言葉に救われています。

入学したとき62歳でした。25年の開業医生活を脳腫瘍で引退、術後の失語や記憶障害のリハビリに苦闘していた時期で、回復に役立つのではとの期待もありました。

私たち昭和一桁世代は戦中戦後に十分な教育を受けられなかったので、潜在的に学問への渇望をもっています。加えて医師というプロフェッションには、多様な人間の理解のために広い教養が求められます。このため欧米では医学部の入学資格は学士(BA・BS)で、医学部自体はドクターコース、博士課程(MD)なので、全修学年限は8年です。日本の医学部の修学年限は現在も6年、その分、教養課程が短く、自ら教養を高める努力をと考えていました。これらのことが私の修学の背景です。

現代は科学技術や情報科学の発達による社会の激しいイノベーションの時代です。かつて学んだ知識、技術がすぐに時代遅れとなり、情報格差を生じます。学生の年齢・職業・修学目的が多様である放送大学では学生の25%が60代以上です。このことは高齢の国民の教養レベルの維持向上に、社会の安定的な高齢知識層の育成に、放送大学が大きな役割を果たしている事実を示しています。

今後も多くの高齢の方が放送大学で学び、自らを革新しつつ情報格差を克服し社会の有識層として活躍されることを祈ります。

最後に、高齢の私にも学習の機会を与えて下さった平和な国と社会に、多くの知識を授けて下さった先生方、学友たちに、修学を支援してくれた家族に心から感謝を申上げます。

 

(みつおか ごうたろう)

1996年4月〜2017年3月、放送大学六専攻卒業・修士課程修了。

この間2002~3年、総合研究大学院大学(国立歴史民俗博物館)研究生。

1933年長崎県生まれ。58年長大医学部卒。医博。内科医。ECFMG(米国医師資格試験)合格。米国で病院勤務。帰国後70~96年開業。脳腫瘍手術後、2010年まで老健施設や離島に勤務。

ほかに自然保護運動。日本自然保護協会指導員。

 趣味 ばら園芸、ガーデニング。現代詩、エッセイを書くこと。 

    詩とエッセイ『千年樹』誌の編集発行。

教養学部 「 グランドスラム」 ☆ 念願達成 ☆

         【 グランドスラム ☆念願達成☆ 】

                      

       名誉学生   林  愛 華

 

長崎学習センター設立と同時に入学(199210月~20123月迄)在籍期間20年。あっという間に歳月が流れ、よくここまで続けられたものだとビックリです。途中何度も止めようかと思ったこともありましたが、何とか続けてこられたのは、多くの学友との出会いと、同期に入学した方々の頑張りを見るにつけ刺激を受けたこと。そして何よりも健康であったことの幸せに、先ずは感謝です。

 仕事を辞め専業主婦となったばかりの私は、新聞でセンター設立を知り、これぞとばかりに飛びつき入学したのが、始まりでした。

 学ぶことを決心させたのは、私の父の存在でした。3年前に88歳で他界しましたが、週刊朝日、朝日ジャーナルは創刊号からの愛読者。テレビ番組はNHK総合かNHKBS1チャンネルを常に見ていて、何にでも関心を持ち、新しい事への探究心には、目を見張るものがありました。私などは、単に聞き流すような事でも、気になることは必ず書き止めて、「メモ魔」でしたね。遺品の整理をした折、そのメモの量たるや、それも政治・経済・歴史・芸能に至るまで、あらゆる分野に関心を持ち、こんなところまでと、その着眼点に驚かされ、本当の意味で真の勉強家であったことに、改めて尊敬の念を抱きました。脳梗塞で倒れ、脳の大半にダメージを受け寝たきりになった状態にあっても、

とにかくニュースを聞きたいと言い、記憶力は衰えることなく、この人の頭は一体どうなっているんだろうと思ったものです。そんな父を見るにつけ、私もどんな時代にあっても色んな場面の話題にも、ついて行けるだけの知識を身に付けていたい、一目置かれる存在でありたい、そんな思いから勉強を始めて20年。さて何が残ったのかと言われれば、自信は全くありません。

 当初、地方センターは、選科と科目履修のみで卒業なんてことは、全く考えていなかったのですが、取得単位が60を越えた頃、折角なら卒業を目指そうと、学友仲間数人で千葉の本部に学籍を移し、全科生となり、単位テストは受験地変更届を申請した上で、長崎で受験したり、色々と工夫したものです。その後、全国のセンターでも全科履修が出来ることになり、スクーリングも数多く開講され現在の形になりました。

 不便ではありましたが、大草への通学も中々に楽しく味のあるものでしたし、今となっては、懐かしい思い出です。あの頃は40代、若かったなぁ~とつくづく思います。

 一期生の中には、今も継続して勉学中の方が何名もいらっしゃいます。

「継続は力なり」です。年々衰えゆく集中力と記憶力の低下に逆らい、体力にムチ打ちながらボケ防止を兼ね、許される限り皆様とご一緒に学べる喜びを、もう少し味わって行きたいと願っています。これからもどうぞ宜しくお願いします。

長年に渡りご指導頂いた先生方、センター職員の皆様のご支援に、心より御礼申し上げます。     感  謝 !!

修士論文 「朝鮮通信使供応食」

「朝鮮通信使供応食」の研究について

 

            大坪藤代(平成21年度修士課程修了)

 

先日、ゼミ担当だった吉田教授の最終講義と感謝の集いに出席した。

修士課程を修了して7年になるが、その間ゼミにも数回出席し、新旧のゼミ生の議論に参加させていただいた。ゼミ生の多彩な職歴と年齢差の大きいのは放送大学の特徴ではあるが、卒論生・修士課程生の研究課題も幅広く、中世から今日の出来事まで、政治・経済・社会・文化全般に亘る。共通点は東アジア地域に関わる研究という事だけだ。従って、自分の狭い知識や思考が、多様なゼミ生の議論と指導教官のアドバイスの中から発展するのを何度も経験した。

修士論文の題名「朝鮮通信使供応食の意義」は、江戸時代に幕府の招請に応じて来日した通信使一行への供応(幕府及び沿道各藩の儀礼食・食材提供など)を、年次推移、琉球使・勅使など他の幕府饗応との比較などから外交における饗応の意義を考察した。また、食習慣の異なる国の使節へ、数ヶ月に亘りわが国独自の儀礼食での供応が如何に受け止められたかを対馬藩のそれと比較し、使節側の評価も加味して検証した。対馬藩は朝鮮国との交流が長く、江戸期にも外交・貿易の実務を担当したが、饗応は幕府と異なり、朝鮮国の食習慣を加味した和韓折衷型であった。

以上については同窓会に入会した平成22年度の発表会で概略を講演した。本年度は卒論・修論発表会で講演できる該当者が日程上難しいとのことで、急遽再発表することになった。しかしながら、その後の研究は中断したままである。今回は幕府の儀礼式に用いられた饗応食、つまり江戸初期の武家最高の饗応である式正の七五三膳を主体に構成した。

 

修論記述後も研究継続の予定で課題を決め、史料収集を始めたが、これが難

しく立ち往生の状態が続き、研究意欲も次第に減少してきた。道半ばでの中

断は意に沿わずと思いつつも、年々資料を読む時間が減少してきた。ゼミの

意欲あふれる議論の場がいつも頭をかすめる。

          七五三・本膳

          七五三盛付繰出順之絵図より

                           対馬歴史民族資料館蔵